こんにちは!
死ぬまで新婚旅行をしているタビワライフの涼(@tabiwalife)です!
わたしは旅にでる前、看護師として働いていました。
看護師は安定職で給料も良いというイメージだと思いますが、私は旅に出て「もう看護師には戻らない」と決意しました。
[toc heading_levels=”2,3″]
なぜ看護師になったのか。
わたしが看護師になろうと思ったきっかけは母の影響です。
今も看護師として現役で働いている母の姿を見て、わたしは看護師になろうと思いました。
わたしの両親は離婚していて、母が一人で私と兄を学校に通わせてくれました。
「一人でも生きていけるように」
「何がっても困らないように」
母の姿を近くで見ていて、いつのまにかそんな風に思うようになりました。
そして、わたしは看護師の道を選びました。

看護師という仕事はとてもやりがいがあって安定職である。
わたしは看護師として約4年間働きました。
急性期の病棟にいたので忙しい時は夕方から朝まで何も食べれない時もありました。
辛い時もあったけど職場の先輩や後輩、そして同期にはとても恵まれ、今から思うとすごく楽しい看護師生活でした。
そして看護師という仕事はとてもやりがいがあり、やめてもすぐに次の職場が見つかる安定職。
「一生困らない仕事」と言われてきました。
わたしが世界一周に行こうとすぐに決めれた理由のひとつに「今看護師をやめてもいつでも復帰できる」というのは正直大きかったです。
世界一周の旅から戻ってきてもすぐにまた看護師として働くことができるという心の余裕は正直ありました。
でも、「安定」は時に選択の邪魔をするということを感じた。
ある日、友人がわたしにこう言ったんです。
「自分も仕事を辞めて旅に出たいけど、今の安定(仕事)を捨てることができない。」
その言葉を聞いた時にすごく疑問を持ちました。
「安定職」を手に入れたことによって捨てるのがもったいないという理由からやりたいことをできないってどうなのか、と。
そしてわたしは自分にも疑問を持つようになりました。
「看護師として働くことはわたしにとってなんなのか。」と
インドを旅して「選択」できる素晴らしさを知った
インドを旅していた時に、カースト制度というものに出会いました。
もう廃止になったとは言われているけどまだまだ残り続けているカースト制度。
カーストの低い家に生まれたら一生その低いカーストで生きていかなければならない。
洗濯屋の家に生まれたら一生洗濯屋をする以外の選択は許されない。
そして同じ階級の人としか結婚できず、一緒に過ごすことも認められていない。
もしも、違う選択をしようもんなら家族内で殺し合いにならなければいけない場合もある。
そんな制度無視して自由に生きたらいいのに。と思うがそれができない世界が現実にあるのです。
アフリカを旅してお金に価値を感じなくなった
アフリカは貧富の差が本当に激しいです。
毎日その日を生きることに必死のため、旅をしている外国人を見つけたら “お金を見つけた” かのように外国人にたかる。
そして「Hello !」というかのように ” Money ! Money! “ と集団で押し寄せてくる。
この集団攻撃は想像をはるかに超えるもので、正直すごく腹が立ちました。
身動きも取れないくらいの集団で手を引っ張られ物を引っ張られ、そして周りで見ている大人は一切注意せず見て見ぬ振り。
大人が子供達にそういう教育をしている場合もある。
子供だからって最初は笑っていたけど、
「No!」と言えば言うほど面白がってゲラゲラと笑いながら ”Money! Money!” と引っ張り続ける。
大人だからって子供10人が本気になれば、きっと敵わないだろう。
あんなに子供に対して苛立ちを感じたことはありませんでした。
そして、だからって子供たちに何もできない自分、どうしていいのかわからない自分、この子供たちよりも裕福な生活をしている自分に一番むしゃくしゃもしました。
お金って何?ただの紙切れ。
お金の価値って誰が決めるのか?結局は地球上の人間。
ただの紙切れなのに。
でも結局お金がないと生きていけない。
いろんなことがグチャグチャに頭を巡ってムシャクシャしました。
私はいままで何を選択して生きてきたのか。
インド・アフリカを旅した頃から、自分の生き方について考えるようになりました。
「わたしは今まで何を選択して生きて来たのか?」
義務教育が当たり前にあって、医療も安全に受けられる。
バイトをすれば最低賃金以上の給料がもらえて、タウンワークで好きな仕事を選ぶことができる。
何も不自由がなく、まわりには便利な制度が溢れるようにあり、それが生まれた時から当たり前にあった。
不自由なくある溢れている制度に何も疑問すら持たなかった。
自分自身で何も考えず、いつの間にか
日本の常識のレールの上の中に存在する選択肢から無難な道を選択してきたんだ
ということに気がついた瞬間でした。
「看護師免許」という資格が動きにくくさせていた
わたしにとって看護師という資格はどこかで「大きな荷物」になっていました。
専門学校まで行って取った資格、給料が良くて安定職、一生できる仕事。
そんな仕事を手放すなんてもったいない。
看護師免許を頑張って取得したんだからこの資格を活かさないともったいない。
そんな気持ちがあったんです。
今持っているものをどうにか生かそうとしたり、手放すのがもったいないという思いが私の人生の邪魔をしている。
そう考えた時に、わたしの中で看護師という選択肢が消えました。
「仕事をやめる」
「もう看護師をやらない」
そう決めた時、わたしは今までに感じたことがないくらいの開放感を感じることができました。
看護師という仕事が嫌いな訳ではない。とてもやりがいがあって看護師という仕事がどれほど大変な仕事なのかわかるから、
今でも看護師として働いている先輩や後輩、同期のことは心から尊敬しているし否定する気持ちなんてまったくない。
だけど、一度きりの人生。
人間はいつか必ず死ぬ。
無難な道を選ぶ生き方ではなく、自分自身で道を作って歩いていきたい。
そう考えた時に、「看護師という選択肢をなしにする」ことがわたし自身を軽くした。
もしかしたらまた看護師の仕事をしたいと思う時が来るかもしれない。
その時は、看護師という仕事を心から楽しんでいる時だと思う。
まとめ
わたしの素直な気持ちを書かせてもらいました。
もし、看護師を辞めたいと悩んでいる方がいたら、こんな考え方もあるんだなとちょっと楽になってもらえたら嬉しいです。
【追記】2018.2.28
これからのわたしたちの理想のライフスタイルが見えました。
▷▷【ご報告】死ぬまで新婚旅行!?904日間の新婚旅行が終わり、これからのタビワライフについてお話させてください。
看護師1年目で悩み苦しむ人の応援をしたい
▷看護師を辞めたい自分を責めないで!1年目でも退職・転職を考えよう
▷【転職成功!】1年目新人看護師が転職サイトを使って転職できた話。
最後まで読んでくれてありがとうございました!